#Me Too

アメリカの最高裁の判事候補に対し、その候補者から昔(何十年も前のこと)”セクハラ=レイプされそうになった” とある女性が実名で名乗り出て、大騒ぎになりました。トランプ大統領は”民主党のでっち上げ”で政治的陰謀である、とかばい、結局は”証拠不十分”で最高裁判事に指名されはしましたが、きっと昨今の”#MeeToo風潮” がなけれはこんな事件は起きなかったでしょう。証明のしようのないそんな昔のことを実名で名乗り出る女性(もちろん今はおばちゃん)もご苦労さんですが、そんな不道徳な男は最高裁の判事になどなってはならない、と義憤に駆られたのでしょうか、それとも政治的な裏があったのか。真相は本人たちにしかわかりませんが、ここぞという時になると ”証言者”が現れるというのは、いかにもアメリカ的であるような気がします。

しかし、同じセクハラ事件でも女性が告発するとなるとインドでは少々事情が異なります。                                                      1ヶ月ほど前、仕事でデリーのある大学の先生(A教授=学科長)を尋ねたときのこと。その先生からは、12月に学会があるのでスポンサーになって欲しい、という要請があったので、詳細の相談に伺いました。会社としてはこの先生に長期売掛金があったので、それをきれいにしてくれたら、そこそこの(シルバーとかゴールドといったランクがあります)スポンサーを引き受けましょう、と言うつもりで行ったのですが、そんな条件を予想したかのように、”未払い金の件は、先日予算の出所(文部省のようなところ)と話をつけたので、問題ない。もうじき支払われるよ。安心してくれ” と機先を制されることに。でもまあ、それならば一件落着なのですが、インドでは”性悪説” で人と接しないといけないという教訓から、同じ部署の別の教授(教授B)に同じ話をすると ”えっ?予算が取れたなんて話は聞いていないぞ” と一言。また例によっていい加減な話か!どちらが正しいのかわかりませんが、いずれにしても支払いがされなければスポンサーシップを引き受けないだけのことですから、もうしばらく様子を見てみましょう。

その後上記の件とは無関係のC先生のところに挨拶に寄り、今回のA教授の話題に触れると、ニヤッと薄笑いを浮かべ、面白い話をしてくれました。                             ”いまA教授は学内でセクハラで訴えられてて大変なんだよ” ・・・何とインドでも。いやむしろインドだからか。この話は学内では誰もが知っており、一緒に同行した同僚のN氏もよく知っている有名な話だそうです。                                            このA教授、そもそも今の大学に来る前の大学でもセクハラ疑惑で問題となり、大学を追われて今の大学に来たとか。                                      ”それにしては、今の大学の方が格が上なんじゃないの?”と素朴な疑問を呈すと、”そこがまたカースト制度が絡んでくるんですよ”                              ”はあ?なんで?”                                            ”A教授は底辺のカースト出身なので、今のポストに優先的に就ける枠があるんですよ。当時きっと他の良い候補者もいなかったんでしょう”                         ”でもまた懲りずにこちらでもセクハラですか?”                          ”いや真相はまだわかないけど、A教授は、『私は下層カースト出身なので、周りの人たちが(追い出そうと)いじめる。なんとか助けてくれ』 と言って、インド大統領(Modi首相ではない)に手紙を出したりしてるんですよ”                                                ”実際そういう下層カーストに対するイジメみたいなことはあるんですか?”         ”ありますね。でもインドでセクハラを訴えた女性が実際いるとしたら、これは限りなく『セクハラは有った』ことと同義ですよ”                                   ”どうして?”                                                ”インドではセクハラとかレイプに有った場合は、家族から相手にされなくなるんですよ” ”はあ?どういうこと?”                                         ”日本人には分かりにくいだろうけど、インドの伝統としては強制的であってもいったん男性からそのような行為を受けた女性は穢れた者として、家族から相手にされなくなるんですよ。だからそんな事件があっても、女性側からはまず訴えられることはない。特に農村部では。でも最近は逆に『家族はあなたを見捨てないから真実を話すように』 という励ます傾向が出てきてますけどね。よって女性がセクハラに遭ったことを公にするということは、自分の社会的生命を掛けている、というくらい重大な決断であり、よって限りなく事実に近いであろう、ということになるんですよ”

というわけで、このA教授の結末はまだ不明ではありますが、それをきっかけに知ったインドの慣習はいささか驚きでありました。でも考えてみると、日本でもそのような事件があったとしても公にはせず、泣き寝入りというか、黙って忘れようといった傾向はまだ残っているような気がします。どちらも背景としては似ているのかも知れません。

 

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