インド建国の父、マハトマ・ガンジー。公共機関などに行くと必ずといっていいほど真ん中にガンジーの写真、ちょっと位置を下げて右側に現在のModi首相、左側にMukherjee(ムカジー)大統領の写真が飾られています。 旧紙幣にも、新紙幣のデザインにもすべての金額には(2000、500、100、50、20、10)ガンジーさんの顔が描かれており、まるでほかに著名な人は居ないのか?と思いたくなるほどです。 実際には、ガンジーとは別路線で独立のために戦ったChandra Bose(チャンドラボーズ)も英雄として尊敬されているし、文化人ではアジア人で最初にノーベル物理学賞を取ったRaman(ラーマン)教授や、ノーベル文学賞をとったTagore(タゴール)、あるいはインド生まれではないですがマザー・テレサなど著名な人たちはいっぱい居るのですが、ガンジーばかりが目立つ存在です。
壁にかけられているガンジーの写真を見ながら、”この国ではガンジーは神様の如くですね” と言うと、なんと意外にも” インド人の多くの人はガンジーを評価していないばかりか、嫌いですよ” と言うではありませんか。”えっ!?なにそれ?” と言うと、”ガンジーが居なければ、もっと早く独立を勝ち取っていただろうし、パキスタンの分離やそれに伴う流血は避けられたに違いない” というわけです。この評価は、いわゆる”たら・れば” の域を出ないと思いますが、実際国民の8割ぐらいは彼を評価していないそうです。特に東部から北部にかけてはその傾向が顕著であるとのこと。これは意外でした。ガンジーさんは偉大には違いないが、晩年にはやはりワンマンで、かなりの判断ミスをした、というのも多くの人の評価であるようです。中国の毛沢東も建国の父として神様のようにあがめられていますが、実際には人気が無くて、周恩来などのほうがずっと慕われていた、という話と良く似ています。ただし、中国でもそうかどうかは知りませんが、インドでは公式の場、特に国の機関で働く人などは公にはガンジーの批判は出来ないというか、しないのですが、”居酒屋”などでのプライベートな席ではガンジーへの批判は普通のことだそうです。聞いてみないと分からないものです。