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マハトマガンジーとインデラガンジー

マハトマガンジーはインド独立の父として誰でも知っていますが、では第5代と第8代インド首相を勤めたインデラガンジーは、マハトマガンジーの娘かなんかでしょうか?答えは否です。この両者まったく血縁関係はありません。インデラガンジーは、初代首相ネルーの娘で、英国留学中に知り合い、その後結婚した相手がたまたまガンジー姓だっただけです。実はその夫も政治家を志していたため、政治的に有利になるために結婚前にガンジー姓に変えたとか。

Indira_Gandhi_1977*インデラ・ガンジー                                                        このインデラガンジーさんが首相になったきっかけは、たまたま時の首相が心臓発作で亡くなりなり、ネルーの娘でもあり、既に政治活動もしていたため、周りから担ぎ上げられて首相になったようです。”お飾り” と当初は見られていたようですが、首相になったとたんに指導力を発揮し、良い悪いは別にして社会主義路線を進めたり、バングラデッシュ独立に介入したり大いに活躍しました。しかし、分離独立を目指したシーク教徒を強硬手段で弾圧し、その恨みを買って、1984年シーク教徒に暗殺されてしまいます。後を継いで首相になった息子のラジブガンジーさんも、1991年スリランカ人に暗殺されてしまいました。                 ニューデリーの空港はIGI空港と呼ばれていますが、これはインデラガンジーインターナショナル空港の略で、彼女の名前が冠されております。

このネル一族は、政治家一族としてインドでは”ネルー・ガンジー王朝” などと呼ばれているようですが、いまはどんな人が活躍しているかというと、暗殺されたラジブガンジーの奥さんである、ソニアガンジーさんが国民会議(現在は野党)の党首になっています。

300px-Gandhisonia05052007*ソニア・ガンジー

ところがこのソニアガンジーさんは実はイタリア人です。サリーを着て、歳をとっているせいか、写真からはインド人と区別がつきませんが、生粋のイタリア人。彼女は、インデラガンジーの息子、ラジブガンジーと留学先のケンブリッジ大学で知り合い、結婚しますが、夫のラジブガンジーが1991年に暗殺されてしまったことから”ネルー・ガンジー王朝” の一翼を担うことになったのです。よって、彼女はネルー一族とは血のつながりはありませんが、彼女の息子、ラフールガンジーはネルーさんのひ孫といいうことになります。(ラフルガンジーさんも政治家)                                                    現在はBJP(インド人民党)のモディさんに与党の座を奪われていますので、ソニアさんは野党の党首となっていますが、仮に与党になったとしても、イタリア人であることから首相にはなれない、あるいはならないといわれています。事実BJPが政権を取る前は国民会議が与党だったのですが、ソニアさんが首相にはならず、マンモハン・シンさんが”代理” で首相を勤めていました。

こうしてみると世界最大の民主主義国家と言われるインドですが、モディさんが首相になるまでは、血縁・姻戚がものを言っていたようです。考えてみると、自由と民主主義の総本山を自認するUSAも似たようなものです。親子で大統領を務めたり、あるいはその弟が立候補したり。また夫婦で大統領になろうとしている人もいますし。安部さんもしかりだし、世襲議員が多い日本も同じようなもの。良い悪いはさておき、民主主義とは言ってもどこも似たようなものです。

 

写真に匂いは映らない

過日日本で、インドで撮った写真を会社の同僚に見せていると、通りかかった先輩が一言、”写真には匂いは映らないからな・・・”。その先輩は昔からインドには何度も出張している人で、ことさらインドの悪口を言うような人ではないのですが、インドの印象をサラッとその一言で表現したのでしょう。確かに。インドの最大の印象は匂いかも知れません。

金浦空港に降りたらにんにくの臭いがする、インドに行ったらカレーの臭い、などど言われます。ところがここで言っているのはそんな生易しいものではありません。生ゴミの腐った臭いを中心に、人や動物の排泄物などが混ざり合ったなんとも耐えがたい匂いがいたるところに漂っています。デリーの近くにはヤムナ川という川が流れていますが、いまや”Dead River” と呼ばれています。もともと流れが遅い上に、あらゆる生活廃棄物、排泄物、工場からの排水などが流れ込んで、悪臭を放っています。その酷さといったらたとえようも無く、もはや回復不能ではないかと思えるくらいで、こうした川にしてしまったインド人に対し怒りさえ沸いてきます。都市にある川はほとんどこんな状態で、匂わない川は無い、と言い切れます。この川に関する話はまた改めて。

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*右側は家の近くを流れる小川で、なんともいえない悪臭が漂ってきます。周囲にはゴミも散乱しています。

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*インド人はこういう状態があまり気にならないようです。もっともこれは良いほうですが。

ゴミの収集屋というのはいるにはいるのですが、インドでもこの職業に携わる人はあまり良い部類ではないようで、その怠慢というかいい加減さに、いたるところで住民から苦情が出ています。さらに加えて先日はごみ収集業者のストライキなどもあり悪化に拍車をかけています。日中はつい先日まで30度を超えていましたので、あっという間に腐りだし、周囲に悪臭を放ちます。匂いというのはたいへん印象的で、過去経験のある匂いを嗅ぐと、それを経験した場所とか時をすぐに思い起こさせます。記憶力は衰えているのだけれど、匂いだけはその時の印象をしっかり体に覚えさせてくれます。

ではインドの人は自宅もそんな不潔でいるのか。聞く所によると決してそんなことはなく、掃除機なんかは使わないにしても一日に2回ぐらい掃除するのはあたりまえとか。でも外が汚いのは気にならないんですね。要は公共性がないわけです。自分さえ良ければOK。外でゴミを棄てることに何の抵抗もないように見えます。前を走る車の窓から次々をゴミが道路に投げ出されるのを見る事も日常です。昔日本から来た社員が、電車のなかで、自分用のゴミ袋を持ち歩いていたら、”お前はなんでそんな面倒なことをするのだ?その辺に棄てればいいじゃないか!”と不思議がられたそうです。日本では考えられないですね。現在の首相Modiさんが日本を訪問してからまず言い始めたことは、”自分の家の周りをきれいにしよう” というキャンペーンを張り、自ら箒をもって自宅の廻りを掃いている写真が新聞に掲載されたものです。しかし、そんなことぐらいで簡単に人々の意識が変わるはずもありません。ゴミを拾うなどという”仕事”は、自分のやることではない!最下層の人間がやることだ!というまたまたカーストの問題も絡んできます。そもそもゴミを棄てなければいいのですが、上述のような意識ですから、道のりは遠いといわざるを得ません。

Reservation

今回は、カースト制度と深い関係にある、”Reservation”という制度のお話しです。このReservationは”予約” という意味ですが、”確保”あるいは”優先枠”と言ったほうが近いでしょう。以前この駐在記でもちょっと触れていますが、低いカーストの人たちには官庁などの就職に際して一定の優先権があり、その制度をReservationと言っています。                             その話を聞いたときには私は官庁への就職のときにのみ適用されると理解したのですが、なんと大学の入学試験でもこの制度が適用されているということです。しかも40%もの”枠” が与えられているのです。  

社員の一人に極めて優秀なスタッフがいまして、彼が高校生の頃は、インドで最高峰の技術系大学であるIIT(Indian Institute of Technology=インド工科大学)を目指して勉強していました。そして、全国統一試験では全国順位で1665番というすばらしい成績を取ったのです。インドの大学受験生は何人いるのか知りませんが、千万人単位でいるでしょうから、ものすごい結果だと思います。当時のIITは今と違って7校しかなく、募集人員は全体で2400人だったそうです。(現在は17校あり、学部も増えているので、3-4倍の人数、すなわち毎年1万人近くが入学しています) 2400人の枠があって、1665番ですから当然IIT入学の権利が与えられてしかるべきなのですが、Reservationの枠が優先さえたためにIIT入学の資格が与えられませんでした。単純計算すると、2400人の60%は1440人となりますので、1665番だと確かにはみ出してしまいます。なんと気の毒な。これでは逆差別のみならず、国の損失と言っても良いでしょう。                                          1665番目の成績証明書は、彼のお母さんがいまでも大切に持っているそうです。お母さんもさぞ無念であったことでありましょう。

その人気のIITのなかでももっとも人気が高いのがIIT- Kharagpur(カラグプール)というところです。あのGoogleのCEOになったサンダー・ピチャイ氏もこのIIT- Kharagpurの卒業生です。”カラグプールってどこだ?”と思われるでしょう。コルカタ(カルカッタ)から南西に200Km近くも行った、ホテルも無いようなほんとに小さな街です。でもキャンパスそのものは広大で100ヘクタールもあり、インドのIITのなかでは最大、最古の歴史があります。(1952年=独立から3年後に設立) IITそのものが街になっていて、スーパーや病院、小学校、中学校なんでもあります。カラグプールの街そのものは何もなくても、学生含めてIITに関係する人たちは生活には困らないようにして、辺鄙な街にあっても人気を保っているわけです。しかし、日本ではいくら学内になんでも揃っていたとしても、学生も教員も集まらないでしょうね、そんな田舎にあったのでは。

 

コルカタ

ムンバイは商業の街、チェンナイは文化の街、バンガロールは教育の街と言われています。コルカタ(昔のカルカッタ)は歴史の街と言っていいでしょうか?1911年首都がデリーに移されるまでは首都の機能を果たしていました。でも、当時はイギリス領でしたから、首都と言うより東インド会社の拠点、あるいはイギリスのインド支配の拠点、と言ったほうが正しいかも知れません。コルカタは、他のインドの街にはないような一種独特の雰囲気があります。それを言葉で表現するのはちょっと難しいですが、良くもわるくも昔のインドをそのまま残しているようなところです。                                      カルカタのある地域は西ベンガル州に属し、民族的にはバングラデッシュと一緒です。地元の言葉はベンガル語、この地方の人たちはベンガリ。ベンガル湾に面しており魚料理が有名、といってもカレーに魚を使っているというだけですが、日本人の口にはよく合っていると思います。そんなに辛くないし、ナンなどのパンよりご飯と良く合います。

なぜかベンガル人は頭が良いと言われています。アジア人で最初のノーベル物理学賞をとったラーマン先生(ラマン散乱の発見)もベンガリですし、インドで活躍する多くの学者がベンガル地方の出身者で占められています。                             チェンナイ出身のあるインド人はその理由について、”ベンガル人は魚をいっぱい食べるからだよ” との事でした。”だから日本人も優秀なんだよ” と付け加えてくれましたが ”???” 肉より魚のほうが健康的ということは聞いたことがありますが、魚を食べると頭が良くなるなんて話はあるのか?そもそも日本人が他と比べて特に優秀ということも無いと思いますけど、勤勉ではありますね。インドでは、日本人はウソをつかない民族、とも言われています。これは確かにインドに比べたら正しい評価でしょうね。

以下コルカタの街の一コマです。

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*この日(12月18日)のコルカタは小雨。早朝の道路脇では煮炊きを始めたり(左)、パンの生地をこねて商売の準備をしてる人、歯磨きをしている人など(右)。

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*なんとか雨を凌げる場所で一晩。でも寒そう。

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*私の好きな車、”アンバサダー”(Hindustan Motor社製)のタクシー。コルカタではオートリクシャーはまず居ません。この”黄色のタクシー組合”がオートリクシャーの進出を阻止しているそうです。値段はオートリクシャー並みに安い!

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*早朝とは言え、大通りで放尿するおじさん。でも雨だからいいか!?

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*日本人にも人気のレストラン ”Trincas”

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*クリスマスで飾りつけられた”レストラン通り”。なぜかインドにもクリスマスはあって12月25日は祭日です。

 

結婚式にご招待ーその3

時節柄またも結婚式に招待いただきました。今度はチャンディガールと言うデリーから車で北へ5時間ほど行ったところですので一泊旅行です。チャンディガールはパンジャブ州とハリアナ州の2つの州都。(2つの州の州都を兼ねているというのが面白いところでもあります)  総勢11名ということで、マイクロバスを借りて、午後2時ごろデリーを出ましたが、出発すると間もなく”エナジードリンクありますよー” と後ろから声がかかってきました。今日のメンバーは女性も含めてたまたま飲む人が多数派。まるで昔懐かしい社員旅行のようです。”XXさんの結婚式は名目だけ。ピクニックですよ!” とビール、ウイスキー、おつまみがふんだんに出てきました。結局、いずこも人間のやることには大差なし。

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この日の結婚式は、前回のものに輪をかけて大掛かりというか派手というか豪華。新郎は白馬に引かれた馬車に乗って登場。最近では単に白馬に乗るよりも、この馬車を使う方がはやりというか、より豪華なのだそうです。新郎が現れたのはおよそ9時ごろでしたでしょうか、前回よりはかなり早めですが、ゆっくりゆっくり新婦の待つ式場に近づいてゆきます。披露宴の会場は新婦の領域のようで、新郎が入ってゆくには、いくらかの現金を支払って、”テープカット”をして入場が許されます。その後、しばらくひな壇にて2人で座り、記念撮影等をします。

IMG_0631*新郎は馬車にて登場。

IMG_0636*踊りながら新婦の待つ式場の入り口へ。

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*ここで新婦側の親族と入場のためのテープカットの”値段交渉”。2,000ルピーぐらいとか。右端で一部だけ映っている人が新郎で、お盆を持って”交渉”している女性は新婦の姉妹だそうです。赤いテープがちょっとだけ見えます。

IMG_0645R*控え室から新婦の登場。

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*会場は屋外と屋内に分かれており、メインの食事は屋内です。この夜は10度を下回る気温で、デリーよりも数度下回っていました。前回も書きましたが、この日のメニューを決めるのは新婦の仕事で、全費用は新婦側の負担と決まっています。下世話な話ですが、この日の費用は少なく見積もっても50万ルピー(100万円)はかかるであろうとのことでした。いや、これはいくらインドでも50万ルピーでは無理でしょう。

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*新郎新婦が雛壇で記念撮影。新郎が首から下げている前掛けのようなものは、10ルピー紙幣100枚ぐらいを繋げて花輪のようにしたものです。

ところで、新郎の姓はSharmaと言って、カーストでいうと僧侶のクラスですが、ここに集まっている両家の人たちは大方同じカーストに属する人たちばかり?と社員の一人に聞いたところ、”実はこの組み合わせはインターカースト、すなわち違うカースト同士の結婚です。ま、違うといっても大きなものではないですが、新郎のお父さんはうまく行くのかちょっと心配している” とのことでした。

 

メトロでシーク教寺院へ

インド観光3日目はメトロで移動してみることにしました。インドの地下鉄は、阿部玲子さんという地下鉄専門家の指導で建設が進められており、現在6路線ほどあります。デリーという超大都会というか、人口密集地で6路線で足りるわけもありませんので、彼女の活躍で次々と新線が開通しています。あるとき阿部さんが地下鉄に乗っていると、インド人に”あなたは日本人ですか?” と声をかけられ、 ”はいそうですが” と答えると、”地下鉄を作ってくれてありがとう” と感謝の言葉を貰ったことがあるそうです。日本人の、しかも女性の活躍でインドの地下鉄が建設されていることが広く知られているようで誇らしい気持ちになります。乗ってみると、車内放送の調子など、どことなく日本の地下鉄の方式に近いな、と思わせるものがあります。混んでいない限りはとても快適で、渋滞だらけの車よりずっと便利でしょう。

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この日は、デリーでシーク教最大の寺院、Bangla Sahib Gurdwaraを訪問しました。シーク教といえば、例のターバンを巻いた人たちの宗教です。他の観光地のように、外国人専用入場料やガイドの押し売りなどを予想したものの、ここは入場料なしの上、そんな押し売りも居ません。みんな裸足で歩いているように見えたので、あわてて靴を脱いで入り口の階段を登ろうとすると、ターバンを巻いたおじさんが近づいてきて、”案内しましょう” と別室に連れて行かれました。断る、断らないという雰囲気を超えた物言いで、従わざるを得ないものがありました。その別室では靴を脱いで、ターバンの代わりに黄色いスカーフを被せられ、手足を洗い清められます。一通り寺院を案内してもらったあと、寺院内の”給食施設” も見せてくれました。シーク教ではカースト制なども無くみなが平等で、食事を欲するものには無料で提供しているそうです。

IMG_0609*黄色いスカーフ と案内人IMG_0608*パン焼き専門キッチン IMG_0611

*バケツいっぱいのビリヤー二(チャーハンに近い)。大バケツのビリヤー二は、見ただけで食欲が失せそう。

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*不潔ではありませんが、決しておいしそうには見えないバケツいっぱいのカレー IMG_0616

*食事風景。二種類くらいのカレー(スープ)とご飯(ビリヤー二)とチャパティーなど。

案内時間は30分ほどでしたでしょうか、一通り終わると、”では以上です” とあっさり次の”お客” に向かってしまいました。案内料のいくらかも請求されるかと思っていた私たちは肩透かしというか、そんな先入観を持っていたことにちょっと恥ずかしいような思いにも。シーク教はヒンズー教などなんかよりずっとすばらしいじゃないか!などと単純に思ったりしましたが、事実シーク教は裕福で社会的に活躍している人が多いそうです。もちろんこの寺院もそういった人たちの寄付で成り立っており、入場無料はおろか、食事の無料提供も可能なわけです。

 

オールドデリー

友人との2日目の観光先はオールドデリー。ここは私も行ったことがありません。インド最大のモスクと言われるJama MasjidとRed Fort(赤い城)訪問後ランチにする計画です。境界線は分かりませんが、ニューデリーを越えてオールドでリーに入るとすこし雰囲気が変わってきます。もともとChaosだったものがさらに輪をかけてくる感じです。日曜日でしたので、大通りの脇には衣類や本などのマーケットが立ち並んで人々でごった返しています。多くは中古(古着)のように見えますが、Govind(運転手)によると、ここは日曜日だけの市で、値段も安く品質も高いものが多いとのこと。しかし、埃だらけの道端で、カレーを手で直接食べた後でも洗わないままの手で白いシャツなどを物色しているのを見ると、商品価値があるのだろうか、と思わざるを得ません。ましてやインドでの古着はちょっと。。。それにしてもその混雑振りときたら、尋常ではありません。10m進むのに10分以上もかかります。

IMG_0566*Jama Masjidから街を望む

IMG_0569R*リクシャーの運転手

ようやく駐車場から、Jama Masjid寺院に向かって歩いて行こうとすると、どこからともなくリクシャーが近づいてきました。”350ルピーで、すべて案内するよ” ”自分で歩くからいいよ” ”Jama Masjid寺院とRed Fort、職人通り行くならリクシャーのほうが絶対良いよ” 友人はリキシャーに乗ったこともないし、ここは一つ利用してみるかと考えを変えて200ルピーで契約成立。すると”Red Fortは外から見ても中に入っても同じようなものだから、入る必要なし。そもそも今日は入り口に長蛇の列でいっぱい待たされるよ” とのアドバイス。まあ、早く仕事終了させようとの魂胆だろうけど、やはり長時間待たされるのはいやなので、アドバイスに従うことに。そして職人通りをさっと通過すると、”カシミヤの良いお店があるから寄ってみないか?” と、例によってお店に誘導。古い建物が立ち並ぶ路地に勝ってに入っていきます。リキシャー(自転車)とは言え、後ろに乗っているわけですから、断るというか、行き先を変えさせるのは簡単ではありません。そもそも行き先などないですから。いつの間にか案内されるままにそのお店の入り口に。

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*オールドでリーの古い町並みとカシミヤ卸売り店の入り口。

その店は卸の専門店とかで、なかなかの品質と価格のように見えましたが、なにせそのようなものは買ったことがないので、比較のしようもありません。お昼時になり、私が”シークカバブを食べたい” とリクエストすると、はい分かりました、とばかりに迷いも無くあるレストランに連れて行っくれました。レストランの名前はKarim。ところがたまたま連れて行ってくれた店とは言え、その料理の旨い事うまいこと。希望のシシカバブとマトンカレー、タンドーリチキンを注文しましたが、まさに絶品でありました。値段もインド価格で、ホテルとは大違いです。リキシャーの運転手の評価急上昇。

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*右上はナンを焼く専門の場所。下はカレーを作る専門のキッチン。

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*シシカバブーとマトンカレー、タンドーリチキンとナン。

この日の感動が忘れられなくて、翌日会社でこの店の話をしてみると、なんとみんな知っていました。そしてみんなが”Excellent” と口を揃えます。やっぱり地元民も賞賛する名店だったのです。

 

 

タージマハール

タージマハールはインド観光の定番。私も15年ぐらい前に行ったことがありますが、その頃は道路事情が悪く、日帰りではありましたが、早朝に出発して、夜遅くに帰ってきた記憶があります。今は高速道路が整備されて、片道3-4時間ほどで行けるようになりましたので、朝7時ごろに出れば夕方には余裕で帰ってくることができます。インドも陽気が良くなって、はるばる日本からお友達が訪ねて来てくれました。まずは定番のタージマハールということで、私にとっては15年ぶりの訪問です。車を降りて、入場券売り場までは歩いて10分ほど。陽気はいいので、気持ちいい散歩のようなものですが、道中は写真やマグネットなどつまらないものの物売り、オートリクシャーからのお誘いなど、うるさいことこの上なし。しかも、断っても断ってもあきらめないあの姿勢は、むしろ学ぶべきもの有り、とさえ感じられました。中にはなんとなく話かけてきて、なし崩し的に案内人になろうとする人も現れてきて、観光地のメッカは油断ができません。

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入場券は750ルピー(約1,500円)。これは外国人用の値段で、インド人はたったの20ルピー。なんなんだこの37.5倍の違いは!?私もインド在住で、税金も払っていますので、PANカード(納税証明カード)を見せて、インド人価格で入れるかと挑戦してみましたが、にべもなく、”ダメだ、お前はあっち!” と外国人用窓口に行くよう指示されました。税金払っているのだから、インド料金でも良いはずですが仕方ありません。しかし、切符を買うやいなや、”案内のセールス” が接近してきました。”この料金には日本語を話せる案内人が含まれております” との事。本当か?”最後に少しだけチップをいただければOKです” ”チップっていくらぐらい?” ”チップですからいくらでもいいです。ちょっとだけ” チップを上げるのはいいのですが、結局最後は金額でもめることになりそうなので、ちょっとためらいましたが、”要らない” と断るのももったいないような、悪いような気がしているうちに、いつの間にか案内人の後を歩いていました。これでは結局他の”手口” と一緒。”どこで日本語習ったの?” と聞くと、”デリー大学で”。 これもウソだろうと思われましたが、なんとか理解できる程度の日本語は話します。しかし、こちらから質問すると、ほとんど理解できません。要は決まったことはしゃべれるのですが、応用が効かないわけです。デリー大学かどうかはともかくとして、ちゃんと勉強した日本語でないことはすぐにわかってしまいます。

タージマハールはすべて大理石でできています。その案内人によると、大理石のなかでも最高の品質のものを使っているそうで、タージマハールの見学のあと、”大理石の加工工房に案内しますので、是非見ていってください。いろいろあります、買う買わないはいいですから” と強いお勧め。”でも私たち大理石には興味ないですから” と3回くらい断ってようやく解放されました。彼はかなりがっかりしたようでしたが、大理石工房に案内するだけで、いくばくかのコミッションが入る仕組みなんでしょうか。でもチップに関する揉め事は発生しませんでした。彼の言ったように”いくらでも” という言葉にウソは無かったですが、1時間ほどで300ルピー(600円)のチップですからちょっとはずみすぎたかも。ちなみにゴルフのキャディーさんには通常300ぐらいチップを上げています。ゴルフに比べると時間は短いですが、日本語という特殊技能を考えて、ということでしたが、彼の日本語ではやや過剰評価であったかも知れません。

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*その日のランチ。ホテルでのビュッフェは高いだけで面白味に欠けますが、安心ではあります。

運転免許取得

インドでは基本的に車は自分で運転しないことになっています。いつか書きましたように、あまりに交通マナーがメチャクチャですから、普通の日本人なら運転しようなどという気にもならないでしょうし、万が一なにかあったら大変です。聞くところによると、外国人が事故った場合など、近くから野次馬が集まって、なんだかんだとインド人に味方して、場合によっては危害を加えることもあるとか。しかし、そうは言ってもGovindちゃん(運転手)は365日運転してくれるわけではありません。日曜日は休みですし、時には有給だって取ります。緊急に自分で運転しなければならないこともあり得ますので、そんな時のために一応インドの運転免許を取得しておくことにしました。

申請先は、考えただけでもため息が出そうなFRRO取得のときと同じ場所です。(5月の記事参照)建物に入っていきなり左側が”運転免許交付所”でした。今回は心強いことにGovindちゃんが同行。まずは”健康診断を受けて来い”と案内されたのですが、場所もちゃんと教えてくれません。指で”あっちだ” と指し示すのみです。あっちに行って、2度も人に聞いてようやく分かりました。下左の写真は”健康診断所”です。なんのことない、ただ目の検査をしただけです。下右側の写真の数字が読めるかどうか。いわゆる色弱検査のみで、視力検査もありません。検査のお値段は150ルピー(300円)

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必要と思われる書類は事前に準備していったつもりでしたが、案の定新たなリクエストが。 ”この会社で働いていることを照明する書類を持って来い” と事前には案内されていない書類を要求されてしまいました。他の係り官だったら違うことを言ったかも知れません。しかし、Govindちゃんは無抵抗にて”来週またで直しです” とあっさりあきらめ 。それはともかくも、これから免許をとろうとする人に対して、名前や住所はともかく、、車のナンバーを書くところがあるのはなぜ?(Vehicle No.)

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翌週の月曜日、オープン時間の9時ぴったりに再度事務所へ。しかし、係り官が来たのは9時15分ぐらいで、それでもなかなか仕事を始めません。仕事を始める準備しているように振舞っていますが、ただ勿体つけているようにしか見えません。でも”お上” に逆らってもしかががないのでじっと我慢。ようやく顔を上げて、書類を受け取ると、”あっちでサインを貰ってこい” との仰せ。あっちってどこ?でももうそこには列など作らない人たちがわれ先に手(書類)を差し出しています。ようやく”あっち” の係り官と話ができると、なんと”サインは必要ない。あっちへ行け” と元いた場所を指します。

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まったく、よほど気が長くないことにはとても耐えられません。Govindちゃんはえらい!その後、これで終わったと思いきや、いきなりPCの前にすわらされて、”English? Or  Hindy?” と、なんでそんなこと聞かれるのかも分からないまま、”English”と答えると、もう画面には交通法規の試験が始まっていたのでした。最初の画面が問題かどうかも分からないまま、読んでいると”どうも交通法規の試験のようだ” と理解できましたが、もうその時は第2問に移っています。全部で10問ほどでしたでしょうか、自信のない答えもありましたが、最後に”Congratulations!  You passed!”の画面が出てきて終了。こんな試験があるなんて全然聞いていなかったぞ!これでめでたく”仮免許” が取得でき、およそ一ヶ月後に実地の試験があって、その後晴れて本免許が交付されるとのこと。”インドで免許取るのは簡単ですよ” と聞いていたわりには、面くらうことばかり。運転技能は全く審査されないで、仮免許が発行され、公道で運転できるわけですから、日本に比べたら確かに簡単ではありますが、毎年13万人も事故死者が出るインド、運転免許交付はこんなことでいいのでしょうか。

 

インドは最大の牛肉輸出国だった!

インドといえば牛は神様扱いで、食べることはおろか、商売にすることも固く禁じられていると思いきや、実際はそうではありません。それどころか、なんとインドは、2014年からブラジル、オーストラリアを押さえて牛肉(水牛含む)の最大の輸出国になっていたのです。最初私はこの記事を良く理解できませんでした。牛を食べないはずのインドが、世界最大の牛肉輸出国なんてあり得ない、と。しかし、その先入観はインドの広さ、多様さを理解しない単なる思い込みでありました。

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ヒンズー教徒(80%)は牛を食べなくとも、残りの人たち、とくに14%を占めるイスラム教徒はじめキリスト教徒、シーク教徒は牛を普通に食べますし、牛を”生産” しているわけです。20%というと3億人弱となり、日本の人口の2倍以上、ブラジルの人口とほぼ同じです。十分な土地もありますから、生産量は巨大で、輸出で世界一になっても不思議ではありません。きっと良いビジネスでもあるでしょう。ローカルスタッフによると、90%以上の牛肉はイスラム教徒によって生産されているという話です。

インドでは州によって、その”牛肉禁止”加減が異なります。下の写真のなかで、赤い地域は牛肉の取り扱いが禁止されている州で、デリーやムンバイが含まれます。黄色の州は特に禁止をしていない州ですが、面積的には大きくはないもののその数は10州を越えます。(インド全体で30州) でも禁止されていない州であっても、ヒンズー教徒であれば、牛を食用のために飼育したりはしませんので、主な担い手はやはりイスラム教徒ということになるわけです。

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ところが最近ヒンズー教の”右派”による”牛肉撲滅運動”が発生し、暴動も起きています。彼らの主張は、”牛肉を食べるようなやつはインドから出て行け” といったもので、牛を殺すことはもちろん、牛肉を持ち歩くことも許しません。3ヶ月ほど前デりーでも、あるイスラム教徒に対し、”牛を殺して、冷蔵庫にその肉を保存している” と言いがかりを付けて、リンチで殺してしまいました。実際には水牛の肉だったようですし、イスラムであれば仮に牛肉であっても殺されるようなことではないはずですが、根本的には宗教対立なのでしょう。そういった事件が続くようになり、牛肉を取り扱って殺されてはたまらない、と牛肉ビジネスから離れる人が増えてきて、危機に瀕している、というのがこの新聞記事の主旨です。同時に靴やハンドバッグなど、牛革を使ったビジネスも巨大なのですが、それらで生活している人たちにも影響が及び大きな問題となっているわけです。しかもそれらの仕事に携わる人たちは、イスラム教徒とともに、Dalitと呼ばれる最下層のカースト(不可触民)でもあるわけです。

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