カテゴリー別アーカイブ: 未分類

その後

今日は、以前にアップしたお話のその後について2つ。                                      まずは6月13日の ”怒り心頭に発す” のその後。                                     医師ともあろう人から約束をすっぽかされて、二度と同じ医師のところには行きたくはなかったですが、レントゲンの結果を確認せねばならず、怒りを押さえて翌週にアポを取りました。一度芽生えた不信感は簡単には消えず、当日の朝、念のため自分ではなく会社のアドミにアポの確認をお願いしました。                                        ”Dr. Vinodは今日は間違いなく居るそうです。先日は申し訳なかったと言っていました”     本当か?後半のせりふはアドミスタッフが気を利かせて付け加えたのでは? と思いつつも、とにかくアポは間違いなさそうなので、約束の午後4時にいってみると、                  ”やあどうも。いかがですか?”                                       ”アドバイスいただいたエクササイズのお陰で大分良いようです”                 ”そうですか、それは良かった。でレントゲン写真は?”                        ”はあ?私は持ってませんよ。先生持ってないんですか?”                    ”私は整形外科の医師であって、X線の医師ではないですよ”                    ”だって診断するのは先生(あなた)でしょう?自動的にここに転送されないんですか?”                 ”X線写真を撮影したところに行ってもらって来てください。1階の7番だったかな。私ここで待ってますから大丈夫ですよ”                                       もうX線写真のお金は払っているんだから自動的に担当医師のところに届けられるシステムにすればいいのに。でもインドでは”改善” という文化はないから、この先もずっーと変わらないだろうな、あの医師もそんなこと考えもしないだろうな、なんて考えながら、 1階の7番窓口でX線の写真をもらって参りました。                               写真を見ながら” 骨には異常はないようですね。しっかり伸ばして、なるべく動かすようにしてください”                                             ”じゃ、ゴルフを続けても大丈夫なんですね?”                             ”いいですよ。これはゴルフが悪いというより齢ですよ。加齢による故障ですね”       加齢か・・・いやな言葉だね、と心のなかでつぶやきながら立ち去ろうとすると、                ”受付で支払いしてってくださいね、今日の分”                           相談料1,000ルピー(1,600円ほど)を支払って、めでたくこの”治療” は終了。そしてこのいい加減な医師とももう関わることもないでありましょう。

二つ目は、5月29日にアップした、”Medal Round” の新しい道路に残っている木のことです。やはりというか、トラックがぶつかっておりました。

*トラックが木に正面衝突しています。でも単に木に接触して駐車しているだけか?

*近くで見てみると、運転席が押し上げられたようにやや曲がっておりましたので、やはり衝突したのでしょう。直前に気がついてブレーキを踏んだけど間に合わなかった、といったところか。

ちゃんと前を見ていればぶつかることはない、とは書きましたが、夜ライトが壊れたまま走っている車も多く、また街灯もありませんから、正面衝突しても不思議ではありません。   また、インドの場合事故ってもいつまででもそのままで、片付けられないことが多いです。                        それにしてもこういった場合の責任は誰がとるんでしょうか。運転手の前方不注意ということでおしまいか。                                               会社の地元民によると、このような木を切るには当局の許可が必要で、その許可が下りるまで半年くらいかかるとか。わざと時間をかけているとしか思えません。

 

Shimlaへの旅 その2

学会は土日にも及びますが、休日にまじめに参加する人などほとんどいません。我々業者というかスポンサーもそんな学会に参加しても意味がありませんので、せっかくの有名な避暑地ですから、少しだけ観光してみることにしました。                         最初は世界で一番高地にあると言われるゴルフ場へ。もちろん見るだけですが。

*ところが、途中でタイヤがパンク。およそ20分でスペアーと交換。結構な重労働ですが、涼しいのでさほどのことは無しか。運転手はターバンを巻いたシーク教徒。

*ゴルフ場に行くには馬で行くしかない、と”騙されて” 同僚と3人でゴルフ場を目指すところ。確かにこんな道では馬しか行けないかも知れませんが、これは観光用に(馬に乗らせるために)作られたもので、ゴルフ場に車で行けないとはとても思えません。

*標高は2,600mぐらいと思われます。空気が薄いのでさぞかし飛ぶでしょう。でも、使われているような様子は無し。本当に馬に乗らなければ来れないなら誰もこないわな。実際はそんなことないと思うけど。                                              ところで、Google先生に確認してみると、世界一標高の高いゴルフ場は、”ヤクゴルフ場” というところで、富士山より高い3,970mの高地にあるそうです。なんとそこもインドの北東部、東シッキム州にあります。                                                                                                                           するとこのゴルフ場ツアーはいったいなんだったんだ?世界一標高が高いゴルフ場というわけでもないし、クラブハウスでお茶や、食事ができるわけでもないし。ただ馬に乗るために長いこと車に乗って来ただけということ?!

次はShimlaで一番標高の高い地点、 Hatu Peakというところに行ってみることにしました。標高は3,400m。ホテルからは車で2時間以上走りましたが、途中から本格的な山道に差し掛かり、道が2本に分かれていました。右に進むとHatu Peakに通じる道です。       そこでは数人の男に車を止められて、                                ”この先は小型車か、こちらが提供するJeepしか入れないがどうする?” と言ってきました。Jeepを借りるのは1,500ルピーとのことです。                         ”ここまで来て引き返すのも馬鹿らしいので、1,500ルピー出してもいいよ” と言ったのですが、脇から小型車とも思えない車が、なんの迷いもなくさっさと追い越してHatu Peakへの道に入って行くのが見えました。                                              ”ははあ、これもさっきの馬に乗せる商法と同じか!?” シーク教徒の運転手も同じことを思ったようで、引き返すようなふりをして、何気にHatu Peakに通じる道に入って行きました。もちろん誰も止められません。                                      途中はさすがに一台しか通れないような道で、しかもハンドルを誤ったら、谷底まで転がって命はないであろうという険しい道が続いておりました。Govindとちがって、その日の運転手は自信があるのか、必要以上に飛ばします。”そんなに急いでも意味ないだろう!” とは言いつつも、もはや運転手を信頼して全てを任せるほかありません。下りてくる車と何度となく、やや広い場所を探してぎりぎりですれ違うなどして、およそ一時間ほど走って、なんとか頂上付近にたどり付きました。 確かにJeepで下りてくる人たちもいっぱいいました。でもJeepの方が横幅は広かったと思います。やはり、Jeepを利用させる商売だったのです。

*Hatu Peakからヒマラヤ方面を撮った写真。下の看板には”Hatu Peak 3,400m” という表示があります。遠方の白っぽい山はヒマラヤ山脈の一部と思われます。

*女性だけの団体。ピクニックか。日本で3,400mというと夏でも寒いくらいですが、そこは緯度の低いインド、日中なら快適な気温です。花や植物なども下界と同じようなもので、高山植物という感じはありません。

*途中で寄ったパンク修理屋。次から次と客が来ていました。インドではパンク修理屋は”商売繁盛” のために近くの道路に釘を撒いたりすると言われていますが、私たちの車のタイヤにも確かに釘が刺さっておりました。パンクした場所から考えても、こことは無関係と思いますが、場所が離れているだけにかえって怪しい気も・・・

 

 

Shimlaへの旅 その1

Shimla(シムラ)とはなにやら日本的な名前ですが、インド神話に登場する女神の化身の名前から来ているそうです。ここはインドの有数な避暑地の一つです。              イギリスの統治時代である1865年に、インドの夏の首都と定められたのが始まりだそうで、今ではインド北部のヒマチャル・プラデッシュ州の州都となっています。            ”ヒマチャル” というくらいですから、ヒマラヤ山脈にも近く、標高は2,400mぐらいあります。軽井沢(約1,000m)と比べてもはるかに標高が高く、下界にくらべて気温差は20度にもなります。でも下界が恐ろしく暑いので、最高が25度くらい、最低が15度ぐらいと、極めて快適な気温です。イギリス人にとってはデリーの夏の暑さには耐えがたかったのでありましょう。                でもその当時の首都というか、中心の町は東インド会社のあったカルカッタだったと思います。カルカッタの夏は暑いだけでなく、湿気も強烈ですので、日本の夏の比ではありません。デリーよりも過ごし難いと思います。私も2週間ほど前にカルカッタ(今はコルカタと言います)に行ったのですが、それはそれは暑苦しいのなんのって、ただ立っているだけで汗がダラダラと流れ、呼吸するのも困難に思われ、とても人間の住むところでは無いと本気で思いました。

シムラには避暑に行ったわけではもちろんありません。学会が開催され、その学会のスポンサーとして参加しました。日本もそうですが、”学会” というのは大体観光地で開催されるものです。先生方は奥さんなども連れて来たりして、まあ家庭サービスというか息抜きみたいなものです。 デリーからは1時間ほどのフライトでチャンディガールへ。そこからは車かヘリコプターでシムラに行けるのですが、現地での利便も考えて車を選択。3時間ほどと聞いていましたが、シーズンでもあり途中渋滞も激しく実際には5時間ほどの山道でした。  途中からは涼しくなって、空気もきれいですので、それほどつらくはなかったですが、ヘリコプターの方がよかったかも。

*早朝の街の風景。去年の3月に行ったMassoorieの街に良く似ています。ただ、Shimlaの方が州都だけあって大きな街という印象です。

*早朝の散歩中に見かけた”歩荷” の人たち。舗装道路もあり、車で運べるのになぜ歩荷が必要なんだろう?と思いましたが、これも”ワークシェア” なんでしょうか。

*ヤク。これは観光用で、野生のヤクは現在はいないそうです。

*ホテル近くにある教会。イギリス統治の名残です。

 

*教会の近くから眺めた街の風景。建物は全体的にはイギリス風のものがかなり残っています。

*教会の広場に続く道。遠くにインドの国旗がたなびいていますが、この辺はまったくインドっぽくありません。ただ、この写真にはほとんど写っていませんが、相変わらずゴミがいたるところに散乱しており、がっかりします。

 

 

スラム街ツアー その3

*もちろん食堂やカフェもあります。ここではチャイ(インド紅茶)を作っているところで、サモサなどのスナックとともに売っています。” 寄っていけ”  と誘われましたが、遠慮させていただきました。 この日はイスラムのラマダン明けのお休みでしたので、働いている人はヒンズー教徒と思われます。ここではイスラム教徒も多いそうですが、ヒンズー教徒との比率は不明です。また、カーストも多岐にわたっているそうです。(スラム街だからといって低いカーストが集まっているわけではない=現在はカーストと貧富の差は直接関係なし)

*家の中が写るかなと撮ってみたのですが、暗くてよく分からないですね。部屋の奥にランニングシャツを着た男が寝ています。部屋の広さは6畳間前後で、1部屋に5-6人で暮らしているのが一般的のように見えました。

*電気のメーターを備えた家もあります。(右上のボックス)もちろん多くは”盗電” で料金は払っていないと思います。ガイドによると、どの家にもTVと冷蔵庫はあると言ってました。中には”水クーラー” のある家もあるとか。左は広場になっています。

*広場のなかから周りの家を見た写真です。1つのドアが一軒(一部屋が多い)となります。どの家(建物)も所有者は別で、月1,000-1,500ルピー(1,600円から2,400円)ぐらいで賃貸しているそうです。(土地を持たない人が)田舎で農作業の手伝いをしても一日100ルピー(160円)ももらえないため、このスラムに流れてきて生活する方がマシというわけです。  スラムの住人であっても、ちゃんと勉強して出世したならば、スラムを後にして、そこにはまた新しい住人が流れ込むことになります。

*マーケット通り。ヤギ逆さに吊るして、皮を履いでいるところ。生肉として売るためです。私はほかのマーケットでも似たような光景を見たことがありましたが、”温室育ち” の日本人なら卒倒しかねないでしょう。もちろん日用品を売っている店、野菜や果物を売っている店などあって、ほかの街をそうは変わりません。

*魚も売っています。たぶん鯉だと思います。デリーには海がないですから。

以上2時間弱の”スラムツアー” で撮った写真を紹介してきましたが、想像していたとおりのもの、あるいは意外なものなどいろいろありました。住居環境は劣悪ではあるものの、スラムといえども住人は結構明るく、普通に近い生活をしていたのが、印象的でした。ひとつの街を形成しているわけですから当然かも知れませんが、マーケットもあり、仕事場もあり。 またTVも冷蔵庫もあり。見る機会がなかったですが、スラム街内の学校もあるのでしょう。  そこから教育を受けて出世していく人も少なからずいるということですから。                                  もう一度行ってみたいか?と尋ねられれば、一回でいいかな、と答えるかと思いますが、少なくとも一度は体験しておく価値はあると思います。たまたま知りえたことですが、このツアーの企画に感謝です。

スラム街ツアー その2

*こちらは、集めてきた紙を仕分けして出荷しています。私も新聞紙やビールの入っていたダンボール箱などを買い取ってもらっているのですが、最終的にはこういうところで仕分けされて、再生工場に運ばれていたのです。

  

*プラスチック(ペットボトルなど)を溶かして塊にする作業所。左側からゴミとなったプラスチックを入れて、右側から溶けたプラスチックが流れでてきます。牛のウンチのようなものです。これを整形して、塊として売るらしいです。

*プラスチックを溶かす作業所の入り口で昼寝してる人たち。作業所の中は暑くてとても昼寝などできません。時々様子を見ては休んでいるのでしょう。あるいはいつもこうなのか?

 

*スラム街の脇に線路が通っています。写真ですのでわかりませんが、左の電車はゆっくり動いています。もちろん踏み切りなどどこにもありません。線路の近辺は、用をたすところでもあり、生活スペースの一部って感じです。

*線路を渡っていよいよ”民家” 地域へ入ってゆきます。なぜか皆さん愛想よく迎えてくれました。

*路地の子供たち。真ん中には”下水” が通っていますが、子供たちで隠れてしまいました。そこに直接うんちしている子供もおりました。

  

*左は路地と下水。右の写真のパイプは水道管だそうです。水道管の下は下水が淀んでいます。どちらも流れていないため、生活排水と汚物が混じった、なんとも言えない色をした汚水が溜まった光景が忘れられません。それが食事時なんかになる時に限って思い出したりして厄介です。

 

*訪れる前に想像していた”スラム街” とはこんなイメージだったでしょうか。

*なぜかうまく撮れませんでしたが、下水は流れていないだけでなく、ゴミだらけです。もっともインドではどこでもこんな感じですけど。

*スラム街の中になるクリニック。私はとても診てもらう気持ちになりませんが、やっぱクリニックは必要でしょうね。・・・続く

怒り心頭に発す

左手の指が痛くてゴルフもできない状態なってしまったのは先日記しました。左手だけの問題なので、たぶんゴルフが関係しているに違いなし。しばらく自粛していれば直るであろう、と楽観していたのですが、1週間経ち、10日経っても良くなる気配がありません。ひょっとしたら骨にヒビでも入ったか?と不安になり医者に見てもらうことにしました。前回の”耳なり” 以来インドで2回目の病院ということになります。

アポが取れたのは10日月曜日の午後4時。その日はなんと最高気温が48度を記録。歩いて行ける距離の病院とはいえ、とても歩く気になれず20ルピー(32円)払ってリキシャー(自転車式の人力車)を利用することにしました。(Govindは休暇中) わずか5分ほどの乗車でありましたが、直射日光と熱風が顔に突き刺さり、暑いを通り越して痛ささえ感じます。                     ”こんなことろで5分も歩いたら、行き倒れだな。即死かも。でもリキシャーの運転手はもっと大変だろうけど、偉いな” なんて考えていると、途中で降ろされてしまいました。      病院の建物までは行ってくれるものの、玄関までは行ってくれません。そのわずか50mほどをも歩きたくないくらい暑いのです。

今回は2回目なので、パスポートを見せるなどの面倒な受付をする必要がありません。   2階の整形外科の指定された部屋(1211号室)に行って、アポのことを告げ、しばらく待たされたものの、無事整形外科の先生と相談ができました。その先生はDr. Vinod Sukhijaというのですが、しばらく左手の指を曲げたり伸ばしたりして痛みの原因を探ってから、     ”わかりました。使わな過ぎですね。”                                   ”はー?どういう意味でしょう?”                                      ”もっと手全体を使うようにしないといけません。ゴルフで一種類の使い方しかしていない、ということかな。毎日このように「むすんで、ひらいて」を少なくとも10分一日3回はやるようにしてください”                                                  ”じゃ、骨には異常がない、ということですね?”                             ”レントゲン写真を見てみないと確定的なことは言えないですが、99%は筋肉の問題だと思うな”                                                    ”そうですか。じゃ、むしろいっぱい動かした方が良いということですね?”            ”そういうことです。この後レントゲンを撮って、明後日同じ時間に来れますか?”         ”了解です。では明後日よろしくお願いします”

そして明後日約束の時間に行って、受付でアポの紙を見せると、               ”しばらくそこの椅子で待つように” 30分近くも待たされたでしょうか、その受付が受話器を片手に私を呼んでいます。出てみると、回線状態が非常に悪く、良く聞き取れなかったのですが、Dr. Vinodと繋がっているようです。                                              ”状態はどうですか?”                                          ”アドバイスを実行したせいか、大分良いみたいです”                      ”実は私、今デリーに居ないんですよ。またの機会にしてもらえませんか?”           ”ええー!? この時間に来いと言ったのはあなたですよ!この診察表にも書いてもあるし”  ”#$?X+**・・・・・” それからは雑音も多く、何を言っているのかほとんど聞き取れなくなってしまいました。でもこちらの言っていることは聞こえていたようです。そんないい加減な先生であっても、1100ルピーも払ったレントゲンの結果を聞かないわけにいきません。 これがなければ電話を一方的に切ってさっさと帰ってしまうとろなんですが、そこは忍の一字にて、”ではまた来週の火曜日同じ時間でOKですか?”                           ”了解です”                                                            なんと、医者ともあろう人間が自分で指定したアポを一方的にすっぽかすとは・・・・。しかも”申し訳ない” の一言もありません。すくなくとも私には聞こえませんでした。

事務所に帰るべく酷暑の外に出るとさらに怒りが増幅され、帰社後3人の社員に事情を話すと、2人は同情して、自分のことのように面目なさそうにしていたのですが、別の一人は” 医者のようなりっぱな人でもそんなことするんですね、ハハハ” などと笑い飛ばすのを見て、さらに怒り心頭に発し、” お前は同じインド人として恥ずかしいと思わないのか!!” と医師に対するよりもさらに怒りが込み上げましたが、それも詮方なし。インドではそんなもんなのかも知れません。

 

スラム街ツアー その1

インドのスラム街といえば、その存在を知らない人はいないと思われますが、インドに住んでいる私でも、実際に行ってみるのはなかなか簡単ではありません。             のこのこ一人で行く気にもなれないし、だからといって会社の地元民に連れてってもらうというのも頼みにくいような気がして、一度行ってみたいと思いつつもこれまでチャンスがありませんでした。                                                   ところがある日、インドでガイドを仕事にしている友人から、”スラム街ツアー” という企画もやっているという話を聞き、即決、参加してみることにしました。ガイド付きで2時間ほどのツアーが1,500ルピー(2,500円ぐらい)とお手ごろなお値段です。                              これまでスラムというとムンバイとかコルカタが”本場” とイメージしていたのですが、デリーでも50箇所近くあるそうです。その日はその中でも最大規模である、Anand Parbatというスラム街で、5-6万人も住んでいます。スラム街というと、掘っ立て小屋がぎっしりと建ち並び、狭い路地に人々が何もしないでたむろしている。水道も下水もなく、飲み水やトイレはどうしているのか不明。電気はあったとしても”盗電” したものを使っている程度であろう、なんてイメージがありましたが、実情やいかに?

*スラム街を上から見た写真です。もちろんほんの一部です。上から、とは高架道路の上から撮ったもので、そこから階段を下りるとスラム街に続いています。

 

*スラム街に入るといきなりトイレがありました。でもこの先トイレを見たのはここだけだったと思います。5万人もいるんですから、ほかにもあるんでしょうが、多くは青空トイレ(線路の脇など)で済ましていると思われます。

*当たり前といえば当たり前なのですが、スラム街の住人もちゃんと仕事をしていました。 ここでは金具を加工してメッキを施しています。右の写真の左側にメッキを施す反応槽が見えます。

*空き缶を解体して、再生するための加工所です。缶の胴体部分と縁の針金のような部分などを分けて”出荷” しているようです。

*このおじさんはプレス機を作っておりました。下がその製品です。

*上のおじさんたちが作ったプレス機。一台30万ルピー(50万円ぐらい)から80万ルピーで売れるそうなんですが、それを10日間ほどで作るとか。本当かなあ?本当だとすれば一日5万円の売り上げで、利益率が20%としても1万円(6,250ルピー)の収入となり”高額所得者”の部類に入ってしまいます。インド人の話だから半分以下に聞いておきましょう。もっとも作るそばから売れるというものでもないでしょうが。

*プレス機を作っている反対側にあった工作機(旋盤)。プレス機の製作とは直接関係ないとのことでした。

*ここはトラックとともに積載重量をチェックする”量り”です。スラム街の一角にはこんな設備までありました。ここで適切な積載重量を確認して、製品を出荷していると思われます。

 

*途中倉庫のようなところで一服。住人(働いている人たち)にコーラをご馳走になりました。”座って一服していけ。チャイはどうだ?なにか冷たい飲み物はいらないか?”などとやけに親切です。ツアーコンダクターによると、私(客)が払う料金の一部はスラムに寄付されるとか。だからというわけでもないだろうけど、興味本位で覗きに来た人たちになぜそんなに親切なのだろうか。 ---続く

 

母親の退職祝い

2週間ほど前、社員のMr. A.Kから                                         ”今度私の母親が退職のお祝いをするので、良かったら参加してください” というので、                   ”えっ?お母さんの退職祝いパーティー?” ”はい、そうです”                  家族でお祝いするならわかるけど、そんな息子の会社の人たちまで招待するなんてインドでは普通なんだろうか?と思いつつ、結婚式でもあるまいし、また平日のことだし、ただお義理に誘ってみただけであろう、なんて思ってなかば忘れておりました。                                   それから1-2週間たったある昼食時、たまたま隣にいたMr. A. Kから            ”今週参加しますか?” と言うので、しばらく何のことかわからず、思い出すまでに3-4秒ほどかかり、                                              ”あ、あれね。まだ決めてないな” ”そうですか、良かったら是非” となんとかその場を取り繕いましたが、ランチの後、他の社員に ”Mr. A.Kのパーティー、出るの?” と聞くと、みんな参加すると言います。これは意外。形ばかりの招待と思いきや、インドではそんな”母親の退職のお祝い” に参加するのが普通のことのようです。

当日は金曜日だったのですが、事務所にいる10人ほどの社員は皆、Mr.A.Kの母親の退職祝いに参加予定にしていました。                                 ”じゃ、私も出ないわけに行かないわな。一人で事務所で残っていてもしかたないし” ということで、45度の酷暑の中、みんなの後をついて参加することになりました。                                   会場は事務所から車で1時間強ぐらい行った、デリーの隣町。車に乗っている間はまだマシでしたが、駐車場から会場まで1-2分歩いただけでも、目がくらむほどの暑さです。    会場はレストランとのことですが、地下の一室で、やけに暗い雰囲気。ランチパーティーですが、例によって13:00になっても主賓もその息子Mr. A. Kも来ません。13:30ぐらいまで待っても来ないので、 ”じゃ、食事始めましょう” と社員の一人が言うので、”主賓が来てないのに、それはマズイんじゃないの?” と私が言うと、”全然問題ないですよ” といいながら、ブッフェ用のお皿を渡してくれます。もうそれぞれ自分のお皿を持って、好きなものを取っている人もいます。変わり映えのない、典型的なインドのVeg料理で、もちろんお酒もなし。

ほぼ食べ終えたところで、主賓の登場。まずMr. A.Kのお父さんが登場し、参加者一人ひとりにご挨拶。なんでもお父さんも奥さんと同じところで働いていたとか。国の厚生労働省の出先機関みたいなところらしいです。でも下の写真でもわかるかとおもいますが、失礼ながら60歳にしてはちょっとお疲れのようなお姿。薄暗いせいもあって少々恐ろしげでもあります。また、これまでずっとお仕事を続けて来られたというには、言葉も発せず、ちょっと社交性にも乏しい感あり。一方お父さん(旦那さん)はぜんぜん元気で、愛想よくふるまっておおりましたが。

*額に赤い紅をつけている女性が”主賓”です。手に持っているのは、会社の皆からの持ち寄りで買ったお祝い(時計)です。

帰りの車では、私のほかに2人の現地人が乗っておりましたが、主に現地語(ヒンズー語)で話したいたものの、途中英語で、                                 ”日本だって、働いてる女性の方が若々しくて、働いていない人とはどこか違いますよね?” と聞かれ、”それはそうでしょうね” なんて答えていたのですが、やはり主賓の老けて見えることが話題になっていたようでした。

最低が30度!

インドの猛暑の事は何度か話題にはしてきましたが、最高が45度、最低でも30度を超えるとなると年に一度ぐらいは触れてみたいと思います。                             その日は日曜日で、私が幹事での干支会ゴルフの日でした。しかしこのところ左手の指の関節が痛くて、クラブが握れないほどにもなってしまい、残念なことに参加は見合わせ。   でも一応幹事なので、受付、支払い、開会式等幹事としての仕事は済ませて、スタートまでは見届けたものの、表彰式はサブの幹事にお任せすることにして、涼しいうちに帰宅させていただくことにしました。                                         でもその前に、せっかくの日曜日の朝ですので、以前より食べてみたいと思っていたゴールデングリーンの朝食をいただくことにしました。                                         ほうれん草とチーズのオムレツと小さなトースが2枚。紅茶がついて250ルピー(約400円)。写真を撮り忘れましたが、そのオムレツの巨大なこと。卵を4つぐらい使っているのではと思えるほどで、とても食べきれる量ではありません。でもほうれん草だけでなく、たまねぎやピーマンなども入っていて、栄養バランスも良く、久々に充実したといういか、人が作ってくれた朝食をゆっくりと食べるのはなかなかいいものです。

家に帰ったのは8:30ごろだったでしょうか。まだ耐えられないほどの暑さではなかったですが、なにせ最低が30度ですからその時間でももう35度近くあったでしょう。エアコン無しではいられないのですが、しばらくすると最近では割と珍しい停電が発生し、エアコンが止まってしまいました。照明などの小電力のものは備え付けのバッテリーでバックアップされますが、エアコンや冷蔵庫などは止まってしまいます。                            しばらくしたら回復するだろうと、30分、40分と待ちましたが復帰しません。その間、部屋の温度はじわりじわりと上がって行きます。1時間ほど我慢しましたが、もう耐えられません。日本みたいに気軽に図書館でも行けたらいいのですが、そんなものがあるのかも知りません。(たぶん無いでしょう。仮にあったとしたら、インドの浮浪者=実は普通の人、でいっぱいになってしまうに違いありませんので、やはり利用不可)                    ちょうどやりたい仕事もあったので、しばらく会社に避難することにしました。

きっと誰かいるだろうとおもいつつ、事務所に行ってみるとManojという雑用係が、ギンギンに冷やした事務所に一人でおりました。 ”雑用係” とうのは日本では例えが難しいですが、正社員ではなくて掃除やお茶汲みなどを専門に担当している、アルバイトのような存在です。 彼は毎日朝一番に来ることになっているので、事務所の鍵を持っています。        ”こんな休みの日に、何をやっているんだろう?” 私が事務所に着いたときには、受付の机に座っていたのですが、私が事務所に入って仕事を始めると、なにやら掃除などを始めました。  ”こいつ、涼みに来ているのではないだろうか?” そんな風に詰問したくもなりますが、彼は英語をほとんど解しません。でも、考えてみれば、自分も同じようなものだったな、なんて思いながら、これからほかのスタッフも来るかもしれないし、まあいいか。

*家の前の野良犬。手前の白っぽい犬は、カメラを向けると頭を上げましたが、それまでは死んだように口を開いて、苦しそうに喘いでいました。犬にとってもデリーの夏はさぞつらいだろうと思います。

Medal Round

私の所属するゴルフクラブ、ゴールデングリーンズ(GGG)の受付にRenuさんという女性がいて、予約やコンペのアレンジ等でお世話になっております。                     ある日彼女が ”来週の土曜日GGG主催でMedal Roundというコンペを開催するので参加しない?” というので、ゴルフができるならどこでも、誰とでも、という感じで ”いいですよ” と気軽に参加することに。参加費1,850ルピーで食事と飲み放題付きということですから極めてリーズナブルです。しかも途中の”茶店=売店” でソフトドリンクやサンドイッチ(朝食)のサービス付です。

当日受付を済ませて、どんな人が参加するのかと、組み合わせ表で自分の名前を探していると、やはり同組は日本人4人のようです。しかし皆初顔合わせ。その日はショットガンスタートといって、全18ホール一斉にスタートですから、72名近くの参加者、ということになります。私の組は第7組で、7番ホールからのスタートです。日本人の組がもうひとつぐらいいて、そこには顔見知りの人もいました。韓国人と思われる組も2組ぐらいいて、あとはインド人のグループです。

*スタート前の参加者たち。中には女性の姿も(韓国人グループ)。

最初に簡単なルール説明があり、5:50分発砲音とともに一斉スタート。ダブルボギー以上はピックアップというルールですので、進行は早いです。しかも私の組は4人のエントリーだったのですが、1人キャンセルがあり3人でしたので、しばらくしたら前の組に追いつき、多少待たされることに。                                                早朝のスタートでしたので、11:30ごろには終了し、その後はシャワーを浴びて、ランチパーティー兼表彰式。同組のMr. HさんがHC(ハンディキャップ)15-20の部で優勝、大きな優勝カップをもらいました。 ラッキードロー(抽選会)ではキャロウェーのボール1ダースが4人に当たりましたが、残念ながら私はこちらもはずれ、ちびちびとビールを飲んで変わり映えのしないインド料理をつまんでおりました。

*表彰式。ビールを飲むインド人が多かったのはやや意外。伝統的にインド人の多くは最初からウイスキーを飲みます。

このMedal RoundはGGGの主催とはいいながら、インドの運送会社がスポンサーとなっていました。だからこんな料金でできるのです。しかしゴルフとは関係ないと思われる運送会社がなぜスポンサーに? 要はここに集まっているインド人は皆金持ちで、会社経営などをしている人たちと思われます。そうした彼らに宣伝できることでスポンサーになる価値があるということなのでしょう。                                         私が働く会社でも、運送会社の質の低さにはずいぶん苦労していますが、この会社は特別な設備やスキルがあるのだろうか?輸送事故を防げたら、ずいぶん経費節減になるのですが、この運送会社のパンフレットがテーブルに置かれていただけで、宣伝めいたものはなかったです。仮に、日本通運など日本の会社であっても、実際に働くのはインド人なので、日本のクオリティーはとても期待できないのが現状です。そもそも現場労働者は、字が読めなくて、たとえば英語で”横積み厳禁”などと書いてあっても理解できないのです。また物を大切にしない、というか乱暴に扱うのはインドの文化なんでしょうか。でもまあ、この辺はまたの機会に。

*ゴルフとは関係ないですが、ゴルフ場への新しくできた道です。なんと道のど真ん中に木が残っています。日本では考えられないですね。役所の許可が出たら切るということなんでしょうか。それともずっとこのまま?ちゃんと前を見ていればぶつかることもないでしょうが、インドでは道路端に木が残っていたり、建造物が道路にはみ出しているのはよくあることです。