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黄熱病予防接種

黄熱病と言えば野口英世が思い出されますが、野口英世ほど毀誉褒貶の激しい人も珍しいのではないでしょうか。彼の業績はゼロに等しいという人もいれば、全部ではないにしても研究業績は偉大なものである、という人もいます。また、彼をペテン師、結婚詐欺師などという人もいますが、少なくともノーベル賞候補にもなったのは事実のようだし、千円札にもなっているのですから、研究においては一定の業績はあったということでありましょう。

さてその辺の真偽はともかく、私は黄熱病の予防接種をしなくてはならなくなりました。理由は、9月末にインドを離れブラジルはサンパウロに異動することになったためです。                                                    たまたま8月25日の週に日本に一時帰国することになっていたので、その間に予防接種するつもりで、予約を入れようと電話してみました。東京近辺で黄熱病の予防接種してくれるところは、東京検疫所、横浜検疫所、日本医大、(財)日本検疫衛生協会など数ヶ所あります。”黄熱病の予防接種をする人などそうはいないだろう” とタカをくくっていたのですが、8月15日ごろ電話してみるとどこも                                    ”8月の予約は既にいっぱいです。9月3日以降の予約になりますが” という信じがたい回答というか案内です。                                              ”えー!何とかなりませんかひとりぐらい。これこれこーゆー事情なんですけど・・・”           ”すみませんが、9月以降でお願いします” となんとも冷たいご返事。

もっと早く予約しておくべきだった! でもこのままではブラジルに入国できないことになってしまうかも。9月1日に帰国予定の日本滞在を延長するか・・・                ”いや、そもそも病院に行くなら日本で、という発想が間違っている。歯医者でさえインドで問題なかったではないか。伝染病の宝庫といわれるインドで黄熱病の予防接種がないわけがない!”                                                 早速会社のアドミスタッフに調べてもらうと、30分もしないうちに、                 ”IGI空港近くにある施設で、月曜日と火曜日と金曜日に実施しています。パスポートを持って10:00に現地に行けば順番にやってくれます。料金は300ルピー(500円ほど)です”             ”えっ!たったの300ルピー!?” ”はい、現金で払ってください”                 上記の日本の施設のサイトによると17,380円とあります。なんと35倍ほどの違い!     いくら物価が安いインドといえども本当かー??

Govindちゃんに連れられて、早速月曜日に指定の場所に行ってみました。もうすでに30人ぐらいが入り口で待っています。Govindが ”あちらで受付手続きをしてください” というので、パスポートを見せながら、名前を告げて順番を待っていると、10時を少し超えたあたりに、記帳の順番どおりに建物のなかに案内されました。珍しく”順番” を守っています。

*Airport Heath Organizationの建物の入り口で、順番に入るところ。来た順に名前を記載した後です。

私を除けばすべてインド人。みんなどこに行くんだろう?なんのために予防接種するんだろう?などと思いながら、再度”本受付” を済ませて、順番カードをもらいました。35番目です。アレルギー体質かどうか、既往症があるかなどの調査票に記載して、待合室で一時間半ほど待たされた後、隣の”接種室” へ案内されました。 何せ300ルピーですから                                        ”まさか同じ注射針を使い廻しているんじゃないだろうな” などといぶかりながら、医師と思われる人を背後から覗き見ると、一応一人ひとり違う注射針を使ってようで、まあ一安心。

*館内で再度正式受付。同じことを2度繰り替えすあたりはインドらしいところです。しかも机に座っている左の人とPCの前に座っている人は同じことをしています。(手書きかPCに入力するかの違い)

*右の白衣の人が医師(注射をする人)。その後、左側で300ルピーを支払い、証明書に必要事項を書き込みました。その場でもらえるなら良かったのですが、この後別室にてたっぷり待たされて、うやうやしく手渡していただきました。合計所要時間3時間ほど。

ずいぶん時間がかかったけど、これは安い!しかもこれで一生有効だそうです。(昔は10年保障でした) それにしても日本の価格ってどうなってんだ?

*黄熱病予防接種の証明書。日本では17,380円のうち、880円が証明書交付料ということです。

というわけで、9月末をもってインドを離れることになりましたので、このインド駐在記も終わりに近いです。これまで読んでいただいた皆様ありがとうございました。            ブラジル駐在記も始めようかと考えていますが、その際にはこのサイトにご案内しますので、興味のある方は覗いてみてください。

 

 

新聞記事より

1.汚い水のために毎日7人死亡。

*インドの水事情の悪さは日本でも良く知られていると思いますが、汚染された水のために毎日7人も死んでいるそうです(2018年)。私も水道の水ほんの一滴を飲んでしまったお陰で、2度ほど激しい下痢に襲われましたが、死ぬ生きるというほどのものではもちろんありませんでした。 死因は腸チフスや肝炎、コレラなどの病気とともに半分以上は急性の激しい下痢ということで5歳以下の子供が犠牲になっているそうです。

2.学校の先生、セルフィーを提出して出勤を証明。

*ウッタラプラデッシュというデリー市の隣の州での話しです。学校の先生が毎朝8時までに自分たちの”出勤証拠写真” を撮って、しかるべきサイトにアップしないと、給与が減額されるという制度です。結果、過去2ヶ月の間、なんと700人もの先生が減給されたとか。写真を載せ忘れたのか、本当にサボっていたのかはわかりません。でもインドでは先生自身が適当な代理(先生の資格なし)をたてて、自分は別のことをしている、なんてのは普通のことだそうですから、サボっていたのでしょう。でも写真だけ撮ってサイトに載せれば、その後はサボっても分からないでしょうから、なんとも浅はかな方策です。

3.過去10年で、2億7000万人のインド人が貧困から脱出。

*こちらは良い話です。                                         10年前には全人口の約半分が貧困層でしたが、10年間で半分ほどに減ったということです。それでも貧困層は現在でもインド全体の1/4以上(27.9%)を占めますが。一日2ドル以下で生活するする人を絶対的貧困層と呼ぶようですが、この記事では収入だけでなく、いろんな指標から評価しています。                                      たとえば、電気が使えない家庭は29.1%から8.6%に減少。栄養不良は、44.3%から21.2%へ、学校に行かない子供は19.8%から5.5%に減少、といった具合です。            でも世界一貧乏な大統領(どこか東欧の国だったと思います)が、”もしインドの人たちがみなヨーロッパ並みの生活水準になってしまったら、いったいこの地球はどうなってしまうんでしょうか?” という演説がありましたが、そんな日もさほど遠くないような気がします。

 

納豆

ある月曜日の夕方、会社のスタッフと軽く一杯やっていると、その中の一人が8月に日本に行くことになっていて、既に日本に行ったことがある社員もいて、日本についての話に花が咲きました。食事のこと、ホテルのこと、観光地のこと、新幹線のこと、日本のインド料理店のことなどなど。                                              そんななかで”有名な” 納豆の話にもなりました。                             ”じゃ、食べてみる?”                                            ”え?あるんですか?”                                            ”もちろん。家の冷凍庫に保存してますよ。じゃ、明日(火曜日)は断食の人もいるから、明後日忘れなかったら持ってきてみるよ”

水曜日のお昼時間。愛用のおかめ納豆2パックを会社に持参。パックのまま、備え付けのしょうゆとからしをやや少な目に入れて混ぜ合わせていると、間もなく糸が引き始め、それを見ている人たちの笑顔が、少々こわばってきました。                                  ”ま、この糸が発酵している証拠なんですよ。原料はインドでもおなじみのSoy Beansだからどうってことないでしょう。どうぞ一口” と言うと、まず以前シンガポールで?食べたことがあるというSさんがトライ。                                                       ”味はまあ悪くないと思うんだけど、この見てくれと食感がね・・・”                他の未経験者も、恐る恐るスプーンで 2-3粒試食。しかし反応なし。一応口にはしましたが、吐き出しはしなかったものの、早くその味を忘れたいが如くに、家から持参のカレー弁当に集中。まあ、言わば腐った豆ですからね。日本人だって、関西の人は食べないし、ましてや食にコンサバのインド人には無理だろうな。

*納豆とカレーランチ。少なくともパン(ロティー)には合わないわな。

2パック持ってきましたが、1パックの半分も消費されず、結局私が食べることに。望むところではありましたが、その日のランチはデリバリーされたチキンビリヤーニ。                                        ビリヤー二とは、チャーハンと炊き込みご飯の中間のようなものに、スパイスを効かせたもの、といえば想像がつくでしょうか。 当然納豆とは合うとはいえません。というか、一緒に食べてよりおいしくなる効果はない、といったところ。

*そもそも納豆に合うインド料理なんて無いと思うけど、インドのお米でも白いご飯だったらいいかも。

月曜日には魚の干物の話題なども出て、それも持って来ようかと思いましたが、魚の干物などは納豆よりはるかに貴重品で料理というか準備が面倒。とうてい喜んで食べてくれるとは思えないかったので、納豆のみにして正解でありました。

彼らは日本に行ったとしてもインド料理しか食べません。ほんの一部の例外を除いて。  日本にはおいしいものが山ほどあり、日本の食事を試さないとしたら、日本の魅力の半分以上は無駄にしていると思うけど、こればかりは理屈でもなし、とにかく口に合わないんだからどうしようもなし。                                                     日本人にとってはカレーも好きだし、中華料理もイタリア料理もみんなおいしく食べられるんだけど、インド人はそんな他の国の料理にほとんど興味を示しません。

欧米人の場合はどうかというと、日本に来た時に日本の食事を楽しみにしている人は少なからずいますが、一日に一回、たとえば夕食とかは喜んで食べるけど、翌朝の朝食も和食、というのは勘弁してくれ、という人も多いです。確かにそうかも。                         また、出張中日本の食事をたっぷり楽しんだけど、国に帰って、”フィッシュアンドチップス” を食べるとホットするよ(イギリスの場合)” という気持ちも良くわかるような気がします。

 

イリッシュカレー

イリッシュ(IlishまたはIlisa)とは、西ベンガル地方(コルカタ=昔のカルカッタ)で珍重される魚の名前です。以前からコルカタ事務所のスタッフSさんより、この魚の話は自慢げに聞いてはいたのですが、獲れる時期が限られているため、なかなか食べてみる機会に恵まれませんでした。うなぎや鮭のように、産卵時に川(ガンジス川)に上ってきたときに捕まえるそうです。                                                      隣のバングラデッシュでは、この魚の産業だけでGDPの1%以上を占めると言われ、いくら分母が小さいとはいいながら、この魚の人気度がわかるというものです。ちなみにバングラデッシュと西ベンガルの食文化はほぼ同じです。                                                   7月のモンスーン期(雨期)に西ベンガルに仕事で行くことになり、とうとうそのチャンスが巡ってまいりました。                                              仕事は、コルカタからさらに車で3時間も走ったところにあるIIT-Kharagupur(インド工科大学カラグプール校)というところに行ったのですが、仕事が終わり車に乗り込むと、スタッフのSさんが、”今日は特別XXさん(私のこと)のためにイリシャカレーを予約しておきましたから” と言われたものの、正直その時までは有名というか自慢の魚のことは忘れておりました。 ”言われてみれば以前そんな名前のフィッシュカレーの話をしたな” 程度であったのですが、少なくとも普段フィッシュカレーを食べる機会はあまりないし、ベンガル地方のフィッシュカレーはまた格別なこともあり、わざわざ予約までしてくれたとはありがたし。                                                                                イリッシュ(またはイリシャ)と聞いても、どんな魚かわからないし、サイトからの写真で見せてもらっても日本名が浮かびません。ただ、写真の説明には ”Ilish Herring”とあったのでニシンの仲間であろうことはわかりましたが。(Herringとはニシンの英語名)

*インドらしい不潔感漂う備品に載ったイリッシュ。でも魚の中身も汚いということはないでしょう。この魚日本近海では捕れないそうです。

*イリッシュカレー。フィッシュカレーにはやはりご飯が合います。緑がかったカレーの色が独特で、デリー地方では見たことがありません。コルカタまで来ると、タイもデリーも同じくらいの距離になるので、タイのグリーンカレーの影響もあるんだろうか。

魚とスパイスのみといった至ってシンプルなフィッシュカレーでしたが、マスタードが効いた、これまで食べたことのない味でした。魚そのものはニシンの仲間に違いなく、正直言って日本人にとっては(少なくとも私には)特別ありがたがるほどでも無いとはおもいましたが、フィッシュカレーとしては絶品でした。S氏が自慢するだけのことはあります。

*この掲示板は、歴代IIT-Kharagupurの金属工学科をトップの成績で卒業した人たちの名前です。GoogleのCEOになったピチャイ氏は、IIT-Kharagupurの卒業とは知っていましたが、なんとここの金属工学科の卒業で、しかも1993年最優秀の成績で卒業していました。(見えにくいと思いますが、1993年 P.Sundarajanとあります) ちなみにこの日の仕事は(お客は)、1988年トップで卒業したR. Mitra先生でした。ここは20校以上あるインドIITの中でももっとも歴史があり、また人気も高く、予算も優先的に付く傾向があります。でも日本だったら誰も来ないかも知れませ。ここKharagpurという町にはこの大学しかないと言えるほどのど田舎ですから。

 

その後

今日は、以前にアップしたお話のその後について2つ。                                      まずは6月13日の ”怒り心頭に発す” のその後。                                     医師ともあろう人から約束をすっぽかされて、二度と同じ医師のところには行きたくはなかったですが、レントゲンの結果を確認せねばならず、怒りを押さえて翌週にアポを取りました。一度芽生えた不信感は簡単には消えず、当日の朝、念のため自分ではなく会社のアドミにアポの確認をお願いしました。                                        ”Dr. Vinodは今日は間違いなく居るそうです。先日は申し訳なかったと言っていました”     本当か?後半のせりふはアドミスタッフが気を利かせて付け加えたのでは? と思いつつも、とにかくアポは間違いなさそうなので、約束の午後4時にいってみると、                  ”やあどうも。いかがですか?”                                       ”アドバイスいただいたエクササイズのお陰で大分良いようです”                 ”そうですか、それは良かった。でレントゲン写真は?”                        ”はあ?私は持ってませんよ。先生持ってないんですか?”                    ”私は整形外科の医師であって、X線の医師ではないですよ”                    ”だって診断するのは先生(あなた)でしょう?自動的にここに転送されないんですか?”                 ”X線写真を撮影したところに行ってもらって来てください。1階の7番だったかな。私ここで待ってますから大丈夫ですよ”                                       もうX線写真のお金は払っているんだから自動的に担当医師のところに届けられるシステムにすればいいのに。でもインドでは”改善” という文化はないから、この先もずっーと変わらないだろうな、あの医師もそんなこと考えもしないだろうな、なんて考えながら、 1階の7番窓口でX線の写真をもらって参りました。                               写真を見ながら” 骨には異常はないようですね。しっかり伸ばして、なるべく動かすようにしてください”                                             ”じゃ、ゴルフを続けても大丈夫なんですね?”                             ”いいですよ。これはゴルフが悪いというより齢ですよ。加齢による故障ですね”       加齢か・・・いやな言葉だね、と心のなかでつぶやきながら立ち去ろうとすると、                ”受付で支払いしてってくださいね、今日の分”                           相談料1,000ルピー(1,600円ほど)を支払って、めでたくこの”治療” は終了。そしてこのいい加減な医師とももう関わることもないでありましょう。

二つ目は、5月29日にアップした、”Medal Round” の新しい道路に残っている木のことです。やはりというか、トラックがぶつかっておりました。

*トラックが木に正面衝突しています。でも単に木に接触して駐車しているだけか?

*近くで見てみると、運転席が押し上げられたようにやや曲がっておりましたので、やはり衝突したのでしょう。直前に気がついてブレーキを踏んだけど間に合わなかった、といったところか。

ちゃんと前を見ていればぶつかることはない、とは書きましたが、夜ライトが壊れたまま走っている車も多く、また街灯もありませんから、正面衝突しても不思議ではありません。   また、インドの場合事故ってもいつまででもそのままで、片付けられないことが多いです。                        それにしてもこういった場合の責任は誰がとるんでしょうか。運転手の前方不注意ということでおしまいか。                                               会社の地元民によると、このような木を切るには当局の許可が必要で、その許可が下りるまで半年くらいかかるとか。わざと時間をかけているとしか思えません。

 

Shimlaへの旅 その2

学会は土日にも及びますが、休日にまじめに参加する人などほとんどいません。我々業者というかスポンサーもそんな学会に参加しても意味がありませんので、せっかくの有名な避暑地ですから、少しだけ観光してみることにしました。                         最初は世界で一番高地にあると言われるゴルフ場へ。もちろん見るだけですが。

*ところが、途中でタイヤがパンク。およそ20分でスペアーと交換。結構な重労働ですが、涼しいのでさほどのことは無しか。運転手はターバンを巻いたシーク教徒。

*ゴルフ場に行くには馬で行くしかない、と”騙されて” 同僚と3人でゴルフ場を目指すところ。確かにこんな道では馬しか行けないかも知れませんが、これは観光用に(馬に乗らせるために)作られたもので、ゴルフ場に車で行けないとはとても思えません。

*標高は2,600mぐらいと思われます。空気が薄いのでさぞかし飛ぶでしょう。でも、使われているような様子は無し。本当に馬に乗らなければ来れないなら誰もこないわな。実際はそんなことないと思うけど。                                              ところで、Google先生に確認してみると、世界一標高の高いゴルフ場は、”ヤクゴルフ場” というところで、富士山より高い3,970mの高地にあるそうです。なんとそこもインドの北東部、東シッキム州にあります。                                                                                                                           するとこのゴルフ場ツアーはいったいなんだったんだ?世界一標高が高いゴルフ場というわけでもないし、クラブハウスでお茶や、食事ができるわけでもないし。ただ馬に乗るために長いこと車に乗って来ただけということ?!

次はShimlaで一番標高の高い地点、 Hatu Peakというところに行ってみることにしました。標高は3,400m。ホテルからは車で2時間以上走りましたが、途中から本格的な山道に差し掛かり、道が2本に分かれていました。右に進むとHatu Peakに通じる道です。       そこでは数人の男に車を止められて、                                ”この先は小型車か、こちらが提供するJeepしか入れないがどうする?” と言ってきました。Jeepを借りるのは1,500ルピーとのことです。                         ”ここまで来て引き返すのも馬鹿らしいので、1,500ルピー出してもいいよ” と言ったのですが、脇から小型車とも思えない車が、なんの迷いもなくさっさと追い越してHatu Peakへの道に入って行くのが見えました。                                              ”ははあ、これもさっきの馬に乗せる商法と同じか!?” シーク教徒の運転手も同じことを思ったようで、引き返すようなふりをして、何気にHatu Peakに通じる道に入って行きました。もちろん誰も止められません。                                      途中はさすがに一台しか通れないような道で、しかもハンドルを誤ったら、谷底まで転がって命はないであろうという険しい道が続いておりました。Govindとちがって、その日の運転手は自信があるのか、必要以上に飛ばします。”そんなに急いでも意味ないだろう!” とは言いつつも、もはや運転手を信頼して全てを任せるほかありません。下りてくる車と何度となく、やや広い場所を探してぎりぎりですれ違うなどして、およそ一時間ほど走って、なんとか頂上付近にたどり付きました。 確かにJeepで下りてくる人たちもいっぱいいました。でもJeepの方が横幅は広かったと思います。やはり、Jeepを利用させる商売だったのです。

*Hatu Peakからヒマラヤ方面を撮った写真。下の看板には”Hatu Peak 3,400m” という表示があります。遠方の白っぽい山はヒマラヤ山脈の一部と思われます。

*女性だけの団体。ピクニックか。日本で3,400mというと夏でも寒いくらいですが、そこは緯度の低いインド、日中なら快適な気温です。花や植物なども下界と同じようなもので、高山植物という感じはありません。

*途中で寄ったパンク修理屋。次から次と客が来ていました。インドではパンク修理屋は”商売繁盛” のために近くの道路に釘を撒いたりすると言われていますが、私たちの車のタイヤにも確かに釘が刺さっておりました。パンクした場所から考えても、こことは無関係と思いますが、場所が離れているだけにかえって怪しい気も・・・

 

 

Shimlaへの旅 その1

Shimla(シムラ)とはなにやら日本的な名前ですが、インド神話に登場する女神の化身の名前から来ているそうです。ここはインドの有数な避暑地の一つです。              イギリスの統治時代である1865年に、インドの夏の首都と定められたのが始まりだそうで、今ではインド北部のヒマチャル・プラデッシュ州の州都となっています。            ”ヒマチャル” というくらいですから、ヒマラヤ山脈にも近く、標高は2,400mぐらいあります。軽井沢(約1,000m)と比べてもはるかに標高が高く、下界にくらべて気温差は20度にもなります。でも下界が恐ろしく暑いので、最高が25度くらい、最低が15度ぐらいと、極めて快適な気温です。イギリス人にとってはデリーの夏の暑さには耐えがたかったのでありましょう。                でもその当時の首都というか、中心の町は東インド会社のあったカルカッタだったと思います。カルカッタの夏は暑いだけでなく、湿気も強烈ですので、日本の夏の比ではありません。デリーよりも過ごし難いと思います。私も2週間ほど前にカルカッタ(今はコルカタと言います)に行ったのですが、それはそれは暑苦しいのなんのって、ただ立っているだけで汗がダラダラと流れ、呼吸するのも困難に思われ、とても人間の住むところでは無いと本気で思いました。

シムラには避暑に行ったわけではもちろんありません。学会が開催され、その学会のスポンサーとして参加しました。日本もそうですが、”学会” というのは大体観光地で開催されるものです。先生方は奥さんなども連れて来たりして、まあ家庭サービスというか息抜きみたいなものです。 デリーからは1時間ほどのフライトでチャンディガールへ。そこからは車かヘリコプターでシムラに行けるのですが、現地での利便も考えて車を選択。3時間ほどと聞いていましたが、シーズンでもあり途中渋滞も激しく実際には5時間ほどの山道でした。  途中からは涼しくなって、空気もきれいですので、それほどつらくはなかったですが、ヘリコプターの方がよかったかも。

*早朝の街の風景。去年の3月に行ったMassoorieの街に良く似ています。ただ、Shimlaの方が州都だけあって大きな街という印象です。

*早朝の散歩中に見かけた”歩荷” の人たち。舗装道路もあり、車で運べるのになぜ歩荷が必要なんだろう?と思いましたが、これも”ワークシェア” なんでしょうか。

*ヤク。これは観光用で、野生のヤクは現在はいないそうです。

*ホテル近くにある教会。イギリス統治の名残です。

 

*教会の近くから眺めた街の風景。建物は全体的にはイギリス風のものがかなり残っています。

*教会の広場に続く道。遠くにインドの国旗がたなびいていますが、この辺はまったくインドっぽくありません。ただ、この写真にはほとんど写っていませんが、相変わらずゴミがいたるところに散乱しており、がっかりします。

 

 

スラム街ツアー その3

*もちろん食堂やカフェもあります。ここではチャイ(インド紅茶)を作っているところで、サモサなどのスナックとともに売っています。” 寄っていけ”  と誘われましたが、遠慮させていただきました。 この日はイスラムのラマダン明けのお休みでしたので、働いている人はヒンズー教徒と思われます。ここではイスラム教徒も多いそうですが、ヒンズー教徒との比率は不明です。また、カーストも多岐にわたっているそうです。(スラム街だからといって低いカーストが集まっているわけではない=現在はカーストと貧富の差は直接関係なし)

*家の中が写るかなと撮ってみたのですが、暗くてよく分からないですね。部屋の奥にランニングシャツを着た男が寝ています。部屋の広さは6畳間前後で、1部屋に5-6人で暮らしているのが一般的のように見えました。

*電気のメーターを備えた家もあります。(右上のボックス)もちろん多くは”盗電” で料金は払っていないと思います。ガイドによると、どの家にもTVと冷蔵庫はあると言ってました。中には”水クーラー” のある家もあるとか。左は広場になっています。

*広場のなかから周りの家を見た写真です。1つのドアが一軒(一部屋が多い)となります。どの家(建物)も所有者は別で、月1,000-1,500ルピー(1,600円から2,400円)ぐらいで賃貸しているそうです。(土地を持たない人が)田舎で農作業の手伝いをしても一日100ルピー(160円)ももらえないため、このスラムに流れてきて生活する方がマシというわけです。  スラムの住人であっても、ちゃんと勉強して出世したならば、スラムを後にして、そこにはまた新しい住人が流れ込むことになります。

*マーケット通り。ヤギ逆さに吊るして、皮を履いでいるところ。生肉として売るためです。私はほかのマーケットでも似たような光景を見たことがありましたが、”温室育ち” の日本人なら卒倒しかねないでしょう。もちろん日用品を売っている店、野菜や果物を売っている店などあって、ほかの街をそうは変わりません。

*魚も売っています。たぶん鯉だと思います。デリーには海がないですから。

以上2時間弱の”スラムツアー” で撮った写真を紹介してきましたが、想像していたとおりのもの、あるいは意外なものなどいろいろありました。住居環境は劣悪ではあるものの、スラムといえども住人は結構明るく、普通に近い生活をしていたのが、印象的でした。ひとつの街を形成しているわけですから当然かも知れませんが、マーケットもあり、仕事場もあり。 またTVも冷蔵庫もあり。見る機会がなかったですが、スラム街内の学校もあるのでしょう。  そこから教育を受けて出世していく人も少なからずいるということですから。                                  もう一度行ってみたいか?と尋ねられれば、一回でいいかな、と答えるかと思いますが、少なくとも一度は体験しておく価値はあると思います。たまたま知りえたことですが、このツアーの企画に感謝です。

スラム街ツアー その2

*こちらは、集めてきた紙を仕分けして出荷しています。私も新聞紙やビールの入っていたダンボール箱などを買い取ってもらっているのですが、最終的にはこういうところで仕分けされて、再生工場に運ばれていたのです。

  

*プラスチック(ペットボトルなど)を溶かして塊にする作業所。左側からゴミとなったプラスチックを入れて、右側から溶けたプラスチックが流れでてきます。牛のウンチのようなものです。これを整形して、塊として売るらしいです。

*プラスチックを溶かす作業所の入り口で昼寝してる人たち。作業所の中は暑くてとても昼寝などできません。時々様子を見ては休んでいるのでしょう。あるいはいつもこうなのか?

 

*スラム街の脇に線路が通っています。写真ですのでわかりませんが、左の電車はゆっくり動いています。もちろん踏み切りなどどこにもありません。線路の近辺は、用をたすところでもあり、生活スペースの一部って感じです。

*線路を渡っていよいよ”民家” 地域へ入ってゆきます。なぜか皆さん愛想よく迎えてくれました。

*路地の子供たち。真ん中には”下水” が通っていますが、子供たちで隠れてしまいました。そこに直接うんちしている子供もおりました。

  

*左は路地と下水。右の写真のパイプは水道管だそうです。水道管の下は下水が淀んでいます。どちらも流れていないため、生活排水と汚物が混じった、なんとも言えない色をした汚水が溜まった光景が忘れられません。それが食事時なんかになる時に限って思い出したりして厄介です。

 

*訪れる前に想像していた”スラム街” とはこんなイメージだったでしょうか。

*なぜかうまく撮れませんでしたが、下水は流れていないだけでなく、ゴミだらけです。もっともインドではどこでもこんな感じですけど。

*スラム街の中になるクリニック。私はとても診てもらう気持ちになりませんが、やっぱクリニックは必要でしょうね。・・・続く

怒り心頭に発す

左手の指が痛くてゴルフもできない状態なってしまったのは先日記しました。左手だけの問題なので、たぶんゴルフが関係しているに違いなし。しばらく自粛していれば直るであろう、と楽観していたのですが、1週間経ち、10日経っても良くなる気配がありません。ひょっとしたら骨にヒビでも入ったか?と不安になり医者に見てもらうことにしました。前回の”耳なり” 以来インドで2回目の病院ということになります。

アポが取れたのは10日月曜日の午後4時。その日はなんと最高気温が48度を記録。歩いて行ける距離の病院とはいえ、とても歩く気になれず20ルピー(32円)払ってリキシャー(自転車式の人力車)を利用することにしました。(Govindは休暇中) わずか5分ほどの乗車でありましたが、直射日光と熱風が顔に突き刺さり、暑いを通り越して痛ささえ感じます。                     ”こんなことろで5分も歩いたら、行き倒れだな。即死かも。でもリキシャーの運転手はもっと大変だろうけど、偉いな” なんて考えていると、途中で降ろされてしまいました。      病院の建物までは行ってくれるものの、玄関までは行ってくれません。そのわずか50mほどをも歩きたくないくらい暑いのです。

今回は2回目なので、パスポートを見せるなどの面倒な受付をする必要がありません。   2階の整形外科の指定された部屋(1211号室)に行って、アポのことを告げ、しばらく待たされたものの、無事整形外科の先生と相談ができました。その先生はDr. Vinod Sukhijaというのですが、しばらく左手の指を曲げたり伸ばしたりして痛みの原因を探ってから、     ”わかりました。使わな過ぎですね。”                                   ”はー?どういう意味でしょう?”                                      ”もっと手全体を使うようにしないといけません。ゴルフで一種類の使い方しかしていない、ということかな。毎日このように「むすんで、ひらいて」を少なくとも10分一日3回はやるようにしてください”                                                  ”じゃ、骨には異常がない、ということですね?”                             ”レントゲン写真を見てみないと確定的なことは言えないですが、99%は筋肉の問題だと思うな”                                                    ”そうですか。じゃ、むしろいっぱい動かした方が良いということですね?”            ”そういうことです。この後レントゲンを撮って、明後日同じ時間に来れますか?”         ”了解です。では明後日よろしくお願いします”

そして明後日約束の時間に行って、受付でアポの紙を見せると、               ”しばらくそこの椅子で待つように” 30分近くも待たされたでしょうか、その受付が受話器を片手に私を呼んでいます。出てみると、回線状態が非常に悪く、良く聞き取れなかったのですが、Dr. Vinodと繋がっているようです。                                              ”状態はどうですか?”                                          ”アドバイスを実行したせいか、大分良いみたいです”                      ”実は私、今デリーに居ないんですよ。またの機会にしてもらえませんか?”           ”ええー!? この時間に来いと言ったのはあなたですよ!この診察表にも書いてもあるし”  ”#$?X+**・・・・・” それからは雑音も多く、何を言っているのかほとんど聞き取れなくなってしまいました。でもこちらの言っていることは聞こえていたようです。そんないい加減な先生であっても、1100ルピーも払ったレントゲンの結果を聞かないわけにいきません。 これがなければ電話を一方的に切ってさっさと帰ってしまうとろなんですが、そこは忍の一字にて、”ではまた来週の火曜日同じ時間でOKですか?”                           ”了解です”                                                            なんと、医者ともあろう人間が自分で指定したアポを一方的にすっぽかすとは・・・・。しかも”申し訳ない” の一言もありません。すくなくとも私には聞こえませんでした。

事務所に帰るべく酷暑の外に出るとさらに怒りが増幅され、帰社後3人の社員に事情を話すと、2人は同情して、自分のことのように面目なさそうにしていたのですが、別の一人は” 医者のようなりっぱな人でもそんなことするんですね、ハハハ” などと笑い飛ばすのを見て、さらに怒り心頭に発し、” お前は同じインド人として恥ずかしいと思わないのか!!” と医師に対するよりもさらに怒りが込み上げましたが、それも詮方なし。インドではそんなもんなのかも知れません。